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"name": "MiNoRi+ ミノリト vol.2\n中村無『群青』\n\nいつもの店の年季が入った開き戸は、今日もちょっと押しただけではびくともしない。自分がいつもここに来るときに疲れているせいなのか、少し間があくとドアが重いことを忘れてしまうせいなのか。きっとその両方の理由で、一度で適切な力の込め方がわかった試しがない。ひとつ息を吸って取っ手に体重を乗せ、全身を使うようにして寺内和（てらうちのどか）はそのドアを押し開けた。\n店内に入ると、ひと目で年月を重ねたことがわかる壁がまず目に入り、その空間のなかで大切に磨き上げられた家具が静かな存在感をはなっている。天井の低さも相まって、まるで秘密基地のようだ。貼られている手書きのメニューが不思議とそれらに調和して独特の雰囲気をつくりだし、そこに安定感のある食事とほどよい接客が加わる。今夜もそんな「楽園」は、ほとんどの席が埋まっていた。\n入り口そばの席でちょうど片付けをしていた顔なじみの店員と目が合って、「いらっしゃい」といつもの席へ促される。軽く会釈してそのまま進むと、店奥の角にあるテーブル席では、15分ほど早めに到着していた臼井（うすい）がひとりスマホを眺めていた。半分ほど飲まれたビールのグラスが机の片隅に置かれている。\n「ごめん遅くなって。お疲れ」\n自分の口から発されたはずのその声は、想像の何倍もひどく疲れて聞こえる。思わず眉間に皺が寄った。「お疲れ」とスマホから顔を上げた臼井は、そんな和を見て笑っている。\n「まーた、ひどい顔して」「まあね……」\n臼井に言われるまでもなく自覚があった和は、力なく苦笑を返した。\n「なんか今日、荷物多いね。こっち置く？」「ありがと、大丈夫」\n荷物入れに雑にカバンとショッピングバッグを突っ込んだタイミングで、おしぼりを持ってきてくれた店員に、いつものようにハーフ＆ハーフのビールを注文した。\n「結婚式用の靴、今日の昼休みしか買いに行けるタイミングなくてさ」\n「ああ、前言ってた妹さんの。そういや、もうすぐだったか」\n「うん、今週末」\nやっと落ち着いて手を拭きながら、自分の計画性のなさと日々の余裕のなさに自然とため息がこぼれる。\n「ビールとお通しでーす」\nすぐに出てきたお通しの煮物とビールを受け取り、軽く",
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"name": "MiNoRi+ ミノリト vol.2\n中村無『群青』\n\nルを取り、松下は「最近忙しいですよね～」と言いながら、和の向かいの席に座った。気まずい間柄ではないが、できれば今日はひとりにしてほしかったな、と思いながら、たまごサンドにかじりつく。\n「てか、聞いてくださいよ！」\nなにか話したいことがあったのか。\nこれまでにも何度か聞いたことのあるその松下からの投げかけに視線を向けると、ずいと彼女は身を乗り出した。\n「私、最近けっこう本気で婚活してるんですけど〜」\n仕事でなにかストレスになることでもあっただろうか、と思ったら、ずいぶんプライベートな話だ。仕事の話なら先輩として相談に乗らねば、と少し身構えていたから、勝手に肩透かしをくらう。\n眼前で怒りからか熱く話を繰り広げている松下には申し訳ないが、どうも左から右へと話が通り過ぎていく。最後の一口のたまごサンドを食べ終わり、カフェオレをストローで少しずつ飲みながら、最低限の話を聞いている体だけは取り繕った。\n「ありえないですよね！？ こっちは本気の相手探してるのに、ヤリモクのやつ多すぎてほんと嫌になる」\n「おお、それは……大変でしたね」\n松下の話がどうやらクライマックスを迎え、その勢いに押されるように、和はほとんど中身のない感想を述べた。それでも、とりあえず松下の溜飲を下げる結果にはなったようで、ほっと胸を撫でおろす。\n「寺内さんは～」\nなにかを期待するような瞳に、嫌な予感がした。\n「婚活とか、しないんですか？」\nそうくると思った。\nほとんどもう動かなくなっている頭で、職場の同僚として、いちばん無難な言葉はなんだろうか、と思案する。\n倍じがたい現実だが、けっこうな人が当然のような顔で恋愛の話を振ってくるのはいったいなんなんだ。二十代半ばを過ぎた頃からは、結婚の話がそこに颯爽と入り込んできた。——ああ、面倒くさい。どうして放っておいてくれないのだろう。\n「結婚も恋愛も、あんまり興味ないですかね、今のところ.......よく、わかんないんですよ」\n前のめりに和を見ていた松下は、処理落ちしたように眼前で固まっている。しまった、率直に言いすぎた。ただ「興味がない」と言っておけばよかったのに、と口にしてすぐ思い至る。しかし、悔いてもすでに後の祭りだ。\n松下が固まっていたのはほんの一瞬のことだった。すぐになにかに得心がいったようで、「あー！」と彼女は声を上げた。",
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"name": "MiNoRi+ ミノリト vol.2\n中村無『群青』\n\nテーブルの真ん中でグラスをぶつけ合って、和は一気に3分の1ほどをあおった。ほどよい苦みとのどごしが気持ち良い。\n「それで？どうよ最近は」\nここで言う「最近」は先々月同じ席で話した以降のことだ。\n臼井とはここ数年、ふた月に一回ほどの頻度で酒を飲み交わしている。和の脳裏には大小さまざまなことが思い浮かんで、つい苦虫を噛みつぶしたような顔になってしまった。臼井がそれを見て、また声を上げて笑う。んー、とうなって、和はもう一口ビールを飲んだ。\n「なんか、ずっと碌なことがなかったな」\nというか、そうでない日々が続くことなど、生まれてこの方あっただろうか。——いや、それはさすがに言い過ぎか。\n「はは、クッソ碌でもない世界だよな」\n「……ほんとにね」\n小気味良い臼井の言葉は、つい自分だけだと引っ込めてしまう気持ちを、ぐいと引っ張り出す。つねづね和は不思議な心地よさを会話のなかに感じて、それを臼井が持つなんらかの力によるものだろう、と考えている。まあ、単に相性が良いというのもあるかもしれない。\nさて、なにから話そうか。\nひとまず小鉢に入っていた車麩の煮物をひときれ口に運んで噛むと、じゅわりと口内にあたたかな煮汁が広がった。\n\nまだ週半ばなのに、なかなか区切りのつかない仕事のせいで、昼休憩が午後3時を過ぎてしまった日があった。いつものこととまでは言わないまでも、それなりによくあることだ。\nとはいえ、こんなときの昼食は、なにかを選ぼうという意欲もほとんど湧かない。さらに、近隣の店のランチタイムはとうに終わってしまっていて、結局歩いてすぐのコンビニで、ミックスサンドと野菜スティック、紙パックのカフェオレを買う。なけなしのタンパク質と野菜と、ほとんど糖分。血糖値の急な上昇が気がかりだが、耐えがたいほど脳が疲れている。とにかくエネルギーが必要だ。そう誰にともなく、心のなかで言い訳した。\n昼らしい時間をとうに過ぎた会社の休憩スペースには、和のほかには誰もおらず、無心でそれらをもぐもぐと咀職する。ぼんやりと今日やらなければならない作業について考えていたとき、誰かがやってきた音がして、和は意識を現実に戻した。そう広くもない一角なので、現れたその人もすぐに和の姿に気がついて「お疲れさまでーす」と声をかけてくる。ひとつ歳下の松下（まつした）だった。\n「もしかして寺内さん、今お昼ですか？」\n「ん、そうです」\n自動販売機が、ガコン、と音を立てた。小さなペットボト",
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